豊川稲荷東京別院《新宿末広亭(昭和32年)から寄贈された奉納額》
末広亭の桟敷席の上にある10周年記念額
どちらにも「大師匠 廣澤菊春」の名前があります。
2代目広沢 菊春(1914年3月10日 - 1964年4月15日)大阪府出身。本名は佐々木勇。落語浪曲で売った鬼才。浪曲協会には所属せず、落語芸術協会所属。出囃子は「小鍛冶」。初代の息子。実弟に天龍三郎がいる。15歳で「フラフラ節」で有名だった岡本玉治に入門。17歳で上京し3代目早川燕平の門下になる。帰阪し父の門下になり広沢小菊春、さらに梅中軒鶯童の門下で現童を経て2代目菊春を襲名。その後本格的に東京で活動を始める。吉本興業に所属。
従来の浪曲とは一線を画す舞台を展開。出囃子に乗って座布団の上に正座し浪曲を落語風にアレンジしたり落語を浪曲風にアレンジしたり等新しいことに挑戦した。他にも新作浪曲にも手掛けている。筆名は池上勇。咽頭ガンのため夭折。
得意演目には「左甚五郎」「英国密航」「陸奥間違い」「佐々木小次郎」「姿三四郎」等。
弟子には澤孝子、民謡の藤本春駒、歌手の津田耕次ほか。
澤 孝子(さわ たかこ、本名:加瀬 孝子、1939年8月14日-2022年5月21日 )千葉県銚子市野尻町出身。第17代日本浪曲協会会長。
1954年3月30日、落語浪曲の二代目廣澤菊春に入門。師匠菊春は、芸に特に厳しい師匠。1954年6月6日、廣澤菊奴と名乗り、横須賀市立衣笠小学校にて初舞台。廣澤菊春一門会で『恋慕月夜』を口演。1958年年季明け。半年お礼奉公後、師匠・廣澤菊春の妹弟子、梅中軒園子一行でさらに一年間修行。1959年〜1961年までの3年間は、四代目天中軒雲月会一行に出方として加わり、芸を磨く。
1961年9月、澤孝子と改名し、三笠節子をマネージャーとして一座を結成。全国を巡業し、その名を広めていった。1973年には、NHK第一回浪曲新人コンクールで最優秀賞を受賞。また1982年には文化庁芸術祭優秀賞を獲得。1977年、大西信行作、神津善行音楽による、民音の創作浪曲『羅生門の盗賊たち』において「沙金」役で主演。2001年には、小椋佳作曲・演出のミュージカルにレギュラー出演。
2008年-2012年、日本浪曲協会会長を2期4年。
2018年〜2022年5月、日本演芸家連合副会長常任理事。
2022年5月21日、脳出血のため急逝。82歳。